猫から見たK-POP

ガールグループ中心に思ったこと書いてます。

KPopのここが好き

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

KPopに心動かされる事が執筆の原動力になってるブログなので、2019年の今年も沢山の記事が書ければと思っています。

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チョユリさんが可愛かったので載せました。記事内容とは関係ありません。

せっかく年の初めなので自分の好きなものについて前向きに語りたいと思い、この記事ではどうして自分がKPopの好きなのかについて、あえて当然の魅力であるステージパフォーマンスを離れた所から書いていくことにします。

 

 

競争がオープンなところ

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ステージの素晴らしさに魅かれてKPopアイドル好きになった私がやがて感じるようになったのが、この世界におけるアイドルを巡る競争の透明性です。

KPopアイドルは新曲を出すたびに音楽番組を中心にして活動して、そこでチャートでの成績を加味して評価を受けるため、成功と失敗のプロセスが放送という形で明確に可視化されることになり、外から見ていてとても分かりやすいです。

KPopにおける成功のイメージは、音楽番組MCの「おめでとうございます!」の声とともにトロフィーを渡される場面に象徴されているといえるかもしれない。

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加えて、資金的なハードルはあっても、小さな事務所の新人アイドルに対してもそうした番組への出演機会が平等に開かれているというのも特徴的です。そこで結果を出せばきちんと評価され、誰にでも成功への道が開かれるという一応の原則がある。

毎週毎週華々しく展開される音楽番組の風景からは、アイドルの世界で夢や成功を追ってるのは若い人達だけではなく、そこに関わる大人たちも同様だということが良く伝わってきます。

元・有名事務所のマネージャーやスタッフ、あるいは作曲家や元・アイドルといった人達が新人グループを編成し、続々とこの業界に参入して新たな競争を繰り広げるという光景はKPopの勢いと醍醐味を象徴しているように思います。

多くの特色ある芸能事務所が、様々なアイドルグループを結成してこうした競争に乗り出す様子は、さながらスポーツチームの優勝争いを眺めている感覚にも近く、ファンとしても応援に熱が入ります。

アイドルへの配慮

KPopアイドルは原則、水着にならず、グラビア撮影もしない。水に濡れるような撮影ならばまずラッシュガードを着用する。

そうした韓国アイドル界における慣行が、KPopを知ったばかりの頃の私にはとても新鮮に感じられました。

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例えばTWICEの「Dance The Night Away」のMVも浜辺というシチュエーションでの撮影でしたが、着ていたのはあくまで水着風の衣装でした。ああいう場面、日本だったらまず普通に水着だったと思います。

こうした配慮からは、アイドルを単なる性的な興味・関心という面から消費されるだけの対象に貶めない、という社会全体で共有される規律が存在しているように見えます。

そして何より、そこには舞台芸術に関わる人間としてのプライドや、観客に対する信頼が存在していることもあると思います。

KPopアイドルはこうした姿勢と努力を通して社会全体の中で正しい存在であろうとして、更には世界のどこでも通用する自己の姿を形作っているではないでしょうか。

韓国のアイドル(女子)は原則として胸元死守というところにもこうした方針は表れているように見えます。ただその反動なのか、脚を出しすぎてるように見える現状は気になりますが。

今のKPopが世界のポップシーンにおいて見せている刺激的で先端的な姿と、こうした古風なまでの抑制を感じさせる振る舞いの対照的な関係からは、アイドルが見せるべきものとそうでないものをはっきりと区別している姿勢が窺えます。

シンプルかつ開放的な空気感

KPopアイドルファンになってから、意識的に日本のアイドルにも注意を払うようになりました。

しかし、日本のアイドルには前提条件というか、アイドルとファンの間で長く受け継がれてきた文脈を理解できる人にしか届かない内向きの論理が存在していると感じることがよくあります。

個性的過ぎるグループ名・曲名、そしてなによりパフォーマンスをみていると、外の世界にいる人に届けて支持を広げる事をそもそも念頭に置いてないのではと感じたりします。

一方のKPopアイドルは、3分程度のステージだけであらゆることを説明し尽くします。そこではグループの個性についての複雑な説明も注釈もなし。いたってシンプル。アイドルという世界が常に世間に対しても開かれてる感じで、私のような部外者も簡単に取り込む間口の広さを感じます。

このことはKPopと呼ばれるものが韓国内だけでなく世界市場を常に視野に入れなければならないので、聞き手を複雑な論理で選別する余裕など無いというビジネス上の理由も当然あるのかもしれません。

この外部との隔たりや垣根を感じさせないKPopの感触は、音楽的にも業界的にも強く感じることです。 

国内の授賞式にチャーリープースを呼んだりエドシーランに賞をあげたり、カミラカベロのハバナがヒットすればアイドルが次々にカバーし始めたりと、韓国アイドル界における音楽的な風通しの良さを色んな機会に感じることができます。

昨年夏のプデュ48でも、Fitz&The Tantrumsの「Handclap」やDemi Lovato「Sorry Not Sorry」など、海外のヒット曲をアレンジして競われた豪華なステージが記憶に新しいです。

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こうしたアイドルと世界の音楽シーンが当たり前のように違和感なく融合する光景が、とても新鮮で眩しく感じられたものでした。

個人的に「アイドルオタク」という言葉の響きに対して、趣味としての行き止まり感を強く感じていたのですが、Kpopアイドルにはまってからは逆に音楽を通して世界への視野が広がったような気さえしています。

豊かな音楽市場と聴衆を備える日本の音楽シーンにはここだけの独自性が存在するように、アイドル分野においても日本ならではの魅力があることは確かです。

しかしSNSを介してあらゆる場所が即、世界と繋がってしまう現在において、世界の潮流とは距離を感じる日本のポップシーンの特殊性というものに強い閉塞感を感じてしまうことがしばしばあります。

KPopを追いかけているときに感じる一息つくような感覚は、アイドルの可愛らしさだけでなく、こうした息苦しさから逃れることができるという理由もあるのかもしれないと、自分では思ってます。

 

結局のところ一番好きなのはステージの完成度ということになるんですが、とりあえず以上の3点を挙げておきたいと思います。

もちろんKPop業界にも過酷なスケジュールや異常なプレッシャーなど改善すべきところはあると思いますし、一方の日本のアイドルシーンにも優れていると思う点はあります。そうした事については、いつか別の機会に書ければ良いなと思います。

ただ、こうして思いつくままに書いてみただけの内容を見渡してみると、 何となくKPop躍進の背景が見えてくるような気がして、舞台の素晴らしさとアイドル個人、そして業界全体をとりまく環境というのは一体として繋がっているものなのかもしれないと思いました。

そして、これまでの勢いを止めることなく新たな競争が始まろうとしている2019年のKPopアイドルシーンが、今年も沢山の素晴らしいステージを披露してくれることを期待したいと思います。