猫から見たK-POP

ガールグループ中心に思ったこと書いてます。

IZ*ONE「Buenos Aires」で色々思う

日韓混成というKPopグループはもう全然珍しくないけれど、そのひとつであるIZ*ONEだけが持っている特徴といえば、日本と韓国それぞれで異なるアイドルプロデュースを受けている点だと思います。

韓国におけるアイズワンはまさにKPopグループそのもの。「今の音」を意識した高いクオリティの楽曲とメンバーの確かなスキルを基礎にした複雑で豪華なパフォーマンスを披露してる。

一方の日本ではメンバーこそ同じ12名だけど、舞台で表現しているのは紛れもない日本の大人数アイドルグループそのものの姿。

前回の日本オリジナル曲「好きと言わせたい」では、そうした二つの姿の落差に混乱させられましたが、結論から言うと今回の新曲でもその印象は変わりませんでした。 

 

最初にお断りしておきますが、以下の文章はアイズワンの作品とその周辺に対する意見であって、メンバーに対する批判とかそういうものではありません。

それでもアイズワンの全てにおいて賞賛の言葉以外は聞きたくないという方は、読むのは遠慮して頂いた方がいいかもしれません。 

※全体の趣旨は変えてませんが、公開後に色々考え直したりして終盤部は何回か書き直してます。

ざっくりした感想

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サビでの「ブエノスアイレス」連呼に象徴されるように、言葉数の多い歌詞に皆が振り回されてる感じ。そこへ奔放な音楽が合わさる事でちょっとしたカオス。

日本語・英語・フランス語にスペイン語が交じり合う所も混沌としていて、韻を意識したためなのか歌詞に遠方や想像、羨望といった漢語を多用する傾向も音としての言葉から情感を奪ってしまい、軽快というより軽薄な印象を与えている。

でも前作同様、曲としてはそこまでおかしくもない。何度も聴いているうちに馴染んでもくる。

ただ疑問に感じるところも前回と一緒で、それはアイズワンがこの曲を歌う必要性が感じられないところ。他の日本のアイドルグループのイメージをそのままスライドさせてきたような印象が強い。

 

あとシブヤノオトでの初舞台を見た感想としては、振り付けのデザインには特に問題があると思う。

ひとつの動作に与えられてる時間が短すぎてみんなが慌てて踊ってるように見える上、動きのあいまいな振り付けが多く、これは誰かのタイミングがずれてるのか、それとも元々こういう動きなのかが判断出来ない場面も多かった。

何を表現したいのか分からないフォーメーションや、音と振り付けが単純に合ってないように見えるところもあって、とにかくまとまりがなくこれもまたカオス。

振り付けの設計からしてアイズワンのステージに相応しい水準には達していないと感じました。

しかし、そもそも楽曲自体に分かりやすい振り付けを拒否する雰囲気もあって、まとめてみると「Buenos Aires」は音・歌詞・振り付けの各要素がもつれ合った結果、難しい事になっているように感じました。

 

アイズワンとユニゾン

今回もそうでしたが、IZ*ONEが日本語曲を出すたびに気になるのがユニゾンの使い方です。

私は、日本の大規模アイドルグループ分野におけるユニゾンの存在は、単なるテクニックのひとつではなく、プロデュースする人達のアイドルに対する基本的な態度を象徴しているものだと思ってます。

日本サイドは、おそらくアイドルグループというものをひとつの大きな塊として捉えることしかできてない。ユニゾンだけでなく、集団での画一的な振り付けを多用することもそれを象徴していると思う。

アイドルをひとかたまりとして見るという事は、つまりアイドル個々人のスキルや存在感を重視してないということでもあります。

彼らが普段手がけるグループに全体共通のダンスが多いのは、メンバーの高くはないスキルをカバーしつつ見栄えをよくするためであり、ユニゾンの使用もソロでボーカルを担える人が少ないことから来る必然なのだと思います。

でもアイズワンはその両方のスキルを兼ね備えた、12の個性の集合体です。

そんな彼女たちにこれまで自分達が日本でやってきた方法を同じように当てはめるのは、やはりおかしい。

 

思うに、一人ひとりにソロでの歌割りを考えるということは、メンバーそれぞれの個性を考え、顔を思い浮かべながら慎重にパートを割り当ててゆくという作業を行うことだと思います。

でもユニゾンはそうした過程をだいぶ簡略化する。上で言ったようにメンバーを幾つかのブロックとして理解し、粗い解像度でグループを表現することになる。

例えば「好きと言わせたい」では、ソロ&コンビそして全体ユニゾンという組み合わせが中心となるなか、ソロパートが全く与えられないメンバーが3名いました。

今回の「ブエノスアイレス」では全体ユニゾンの他、パートを3名のユニットで担うことが多く、逆にソロパート自体が大幅に減るという結果になっています。前作よりもむしろパート分けが雑になってる。

適当なユニゾンの使用や、安易な歌割りでメンバーのソロパートに差をつけるような曲の作り方は、単なる技術論を越えて、個々のアイドルに対する敬意を欠いた態度にも見えます。

たとえ数秒であっても、ソロパートではその人が舞台の中心であり、どんな人気メンバーであってもこの時は皆一斉にソロ担当を引き立てるためのポジションに入る。

こうして個と全体が目まぐるしく入れ替わりながら互いに引き立てあう舞台こそ、グループアイドルの理想のステージであり、ユニゾンはそうしたバランスを崩さない限りで使われるべきだと思います。

ちなみにアイズワン&ユニゾンと聞いて私が思い浮かべるのは「秘密の時間」です。

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一番と二番を通してソロパートを全員で分け合いながら、終盤に差し掛かるところでコンビでのユニゾンが初めて姿を現し、そして大サビでは遂に全員が歌声を合わせる。

アイドルグループにおけるユニゾンはこうあるべきという、ひとつの理想的な曲だと思います。

 

2つのプロデュース

日韓の最前線でアイドルプロデュースに関わる人たちが互いに向かい合うアイズワンというグループは、同時に彼らの手腕が比較される舞台になっているように見えます。

つまり日本と韓国のアイドルシーンはそれぞれ独自の領域として共存していたのに、アイズワンの誕生はふたつの世界を結びつけることになった。違う環境・異なる階級で生きて行けばよかったのに、アイズワンという存在がルールを統一してしまった。

私は前に、IZ*ONEという新しい存在はそこに関わる人たちの態度を映し出す鏡になると書いた事があります。

現在、韓国と日本で作られる特色も完成度も異なる楽曲をアイズワンが器用にも演じ分けてしまうことで、その鏡には日韓アイドルシーンの長所と短所が鮮やかに映し出されている。

その結果がYOUTUBEでの再生回数「ラヴィアンローズ」9500万回、「ヴィオレッタ」3500万回そして「好きと言わせたい」1600万回という数字。この差を見て何を思うも思わないも、人それぞれだと思います。

でも現場で関わっている人達はこの数字に無関心であるべきでないと思う。

IZ*ONEとしての主体が韓国にあることは確かだと思います。現状は韓国で作り上げられた実績がその存在感の中心になってしまってる状態。

本当にこれで良いのかなと思います。これから二年の間、ずっとこの調子なのかなと。

 

「グローバルアイドルを目指す」というのは、12人が掲げている目標です。

世界へ向けて羽ばたこうとする、そんな彼女達に翼を与えることが出来るのは日本と韓国のチームだけだけれど、事実上は片翼だけで飛び立とうとしてる。もう片方は埃被った鎖で日本に繋がれたまま。

しかし日本のアイドル界全体に視野を広げてみれば、そこにはいわゆるアイドル音楽だけでなくロックにメタル、テクノやオルタナなど、豊かな音楽的土壌に影響を受けた様々な魅力を持つアイドルグループが多く存在している。その中のいくつかは世界にまで突き抜けている。

高水準のKPopアイドルとして自立してるアイズワンに対し、日本側がどのように関われるかを考えたとき、こうした日本独自の多様性を意識して作品に反映させる事は戦略として自然なことだと思います。

でも現状は日本型アイドルビジネスのルーティーンを見せられているだけのようでもあり、既製品のスタンプで決まりきった模様を押し続けているみたいでもある。

そうではなく、日本サイドはアイズワンのためだけに一から絵を描いてあげるべきだと思う。

そのためには実力本位・作品単位で広く国内外から作詞家・作曲家を募るなどして、事務所の枠と色にこだわったこれまでのやり方を変えることがあっても良いのではないでしょうか。

 

最後に

以上、韓国と日本で別々のプロデュースを受けているという現実を前提に、ありそうもない空想を展開してしまいました。

でも私の希望を正直に言えば、それは韓国で披露している姿をそのまま日本でも見せてくれることです。TWICEやRed Velvetが見事に自分達のコンセプトを日本語で独自に表現しているように、韓国側が全責任をもって日本でもIZ*ONEの世界を貫徹すること。

現在の状況を見てみると、日本と韓国では互いのプロデュース方針には口を出さないという事で進められているらしいことが見て取れます。その結果、方向性も完成度も異なる2つのIZ*ONEが並立してしまってる。果たしてこれでいいんでしょうか。

IZ*ONEは今私にとって一番大切なグループだけれど、このせいで最も混乱を呼ぶ存在でもある。日本活動を思い浮かべて頭を抱え、メンバーの笑顔を見て心を鎮める。最近ではその繰り返し。

「la vie en rose」の舞台を始めて見た時、これからの二年半は素晴らしいものになると確信したし今もそう思っているけれど、でも将来自分のナイーブさを自嘲する瞬間が来ないとも限らない。

「Buenos Aires」を聴いていると、そんな事を考えてしまう。