猫から見たK-POP

ガールグループ中心に思ったこと書いてます。

猫から見たIZ*ONE

幕は下りて、主役は去った。

場内に点いた灯りが観客に退場を促すように、KPopの活況を伝えるニュースは今日も賑やか世界中を覆っている。でも自分はもうしばらくここに座っている。まだ思い出すことがある。それに2年半近くもここにいたんだから、もう少しだけ長居したところで。

 

その始まり

韓国における2年半の活動で5枚のアルバムを発表。日韓合わせて8つの事務所から集められた12人のメンバーからなるグループは大きな人気を集めて音楽番組では26冠、出すごとに初動記録を塗り替えたアルバムの合計販売総数200万枚以上。その短い活動期間にかかわらず韓国内においてBLACKPINKやTWICEに並ぶ支持を得て、そして何より自分が1番好きになったアイドル、それがIZONEだった。

最初から特別なグループだったわけではない。オーディション番組「PRODUCE48」の放送を通じて鳴り物入りで結成されたあの時、白とピンクの制服に身を包んだ12名が歓喜の涙に包まれている光景を眺めながら、私はと言えば「ふーん、このメンバーで行くんだ」程度の感情だった。

でもその2ヶ月後の10月29日、デビュー曲「ラヴィアンローズ」が全てを変えた。

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鷹揚で優雅で自信に満ちていて、12人で表現される奥深い美しさは鮮やかな真紅で彩られながらも、敢えて輪郭をぼかしながらIZONEの世界へいざなう。確かな完成度を誇りながらなお未完の可能性さえ漂わせる矛盾した存在感を併せ持つ。つまりデビュー曲として文句のつけようがなかった。IZONEのファン、つまりWIZONEとしての2年半の始まりだった。

その後のキャリアを通してIZONEは4つのタイトル曲を披露することになり、そのいずれも高い評価を得て甲乙つけがたい。それでも、媚びず怯まず背筋を正し凛として旗を掲げるような「ラヴィアンローズ」の姿勢が、その後のグループを貫く基本となっていたように思う。

こうしてガールグループとして破格のデビューに成功したIZONEは年末に数々の授賞式や音楽祭典に出演し華々しくその存在を知らしめる。その躍進は翌年2019年にも止まるところを知らず、二枚目のアルバムを出した後に早速コンサートツアー「eyes on me」を開催、韓国のみならず日本やアジア各地を飛び回わった。二年半という限られた活動期間、立ち止まっている時間はなかった。

 

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IZONEで交わる日韓

IZONEには日韓混成グループという大きな特徴があった。

過酷なサバイバルと視聴者投票を売り物にしたオーディション番組「PRODUCE」シリーズ。韓国内で大人気を博して通算4回製作されたけれど、日本の48グループとのコラボを打ち出して放送された3作目「PRODUCE48」はその中でも異彩を放っていた。

日本と韓国のアイドルの価値観の差異を浮き彫りにしながら進んだ放送は話題を集め、最終的に集まったメンバーの中に宮脇・矢吹・本田の三名が含まれることで、その意義は番組を飛び出して2年半の活動へと引き継がれた。

TWICEを筆頭に日本人メンバーのいることが珍しくない最近のKPopシーンにおいても、良くも悪くも和製アイドルの印象が強かった現役アイドル3名の存在はIZONEをほかのKPopグループと分ける大きな意味を持った。

個人的にもあの3名の存在は画期的だった。

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彼女達の活躍は、日本のアイドルが一定の枠にはまった姿にとどまっているのはあくまで周囲の要求や環境の問題であって本人の素質に関わるものではなかった、ということを証明し、私個人の和製アイドルへの視線を変えた。サナキの3名には縛られていた鎖を解き放ったような輝きがあった。

ちなみに私は常々日本のアイドルお馴染みの黒髪スタイルを見ながら、無理やりに被せられた鉄兜のようだと感じていたけれど、カムバごとにくるくる変わる彼女達の髪色、髪型はそんな環境からの解放を分かりやすく象徴していたように思う。


IZONEの大きな特徴である日韓の関りはプロデュース面にも及んでいた。つまり日本での活動は日本の運営が独自に手掛けるという約束があった。しかし残念ながら、私はこちらの方に関して肯定的な感想を持てなかった。

ここ数年の日本のアイドル環境における分かりやすい特徴に、トワイスやブルピンに代表されるKPop人気というものがある。それだけでなく若い人達の間では美容に食にエンタメにと、韓国的なものに対する感度が全体的に高まっていた。そんな日本へIZONEという最高のKPopガールグループをお披露目する、となればやるべきことは明らかなはずだった。

しかし現実に行われたのは、あの12名に敢えて旧態依然の日本のアイドルスタイルを踏襲させること。それは彼らが行ってきたビジネス手法にIZONEの方を当てはめることを意味していた。

IZONEという存在を中心に置いて、そこから世界へ向けていかに12名を輝かせていくかという方針の韓国サイドに対して、自らの慣れ親しんだアイドル商法へIZONEを押し込めていくそのやり方はプロデュースとして本末転倒、アプローチとして韓国側とは真逆と言ってよく、その結果が韓国におけるものに比べて見劣りするものになることは当然のことだった。

いま私が想像してしまうのは、もし日本運営が最初からIZONEが韓国で見せている姿を国内で素直にアピールすることが出来ていたら、折からのKPop人気に乗ってもっと大きな支持を獲得できていたら、そしたらグループを日本からも支える形になり、ひょっとするとIZONEの結末も今とは違うものになっていたのではということ。しかしこれも今となっては単なる妄想に過ぎない。 

 

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8つの事務所、12名のメンバー

期間限定のグループであるIZONEのもう一つ大きな特徴として、事務所の枠を超えたメンバー構成というのがある。普通は真似できないこの仕掛けは、しかし可能性と共に危険性も併せ持つものだったように思う。

オーディション番組という人気投票を通して複数の事務所から集めたほぼ初対面のメンバーということは、現実に活動を始めてみないと分からない部分が多かったはず。いくら人気と才能を兼ねたメンバーが集まったとはいってもそこは普通の人間の集まり。相性含めた現実的な摩擦が起こりうる。おまけに日本の3名は言葉の通じない外国での生活を一からスタートさせないといけない。その苦労はどれほどのものだったか。

でもIZONEの12名は素晴らしい調和を見せてくれた。まるでそのようになることをはじめから定められた12人だったかのように。 そこに至るまでにはきっと互いの気遣いや努力、理解の積み重ねがあったに違いない。

共同生活や厳しいスケジュールとトレーニングなどの要因を背景に、色々なグループ内における不和が伝えられるKpopシーンにおいて、IZONEの雰囲気の良さは特筆すべきものだった。内部の結束と、成績や人気といった外部の条件の双方が充実している理想のグループ、それがIZONEだった。誰しもが作り上げることを望み、関わることを願うような理想の存在が出来上がっていた。

だからこそ、その理想形を少しでも長く維持するべくそれぞれの所属事務所が互いに知恵を働かせてもらえなかったかと、今でもファンの一人としては思わずにはいられない。

事務的に活動終了の伝えられたあの3月10日はアイドルの世界における一つの理想が現実の前に退いた瞬間だったと、私は記憶している。

 

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二つの騒動そして終幕

アイドルを追うことが楽しいことだけではないということを教えたのもまたIZONEだった。

初めてのコンサートツアーを成功裏に終え、フルアルバムの発売も決まり、そのキャリアが順風満帆に思えた2019年秋。彼女たちは突如として出身番組を巡る騒動に巻き込まれ、活動休止に追い込まれる。猛烈な批判と擁護の意見がせめぎ合う中、一時は存続すら危ぶまれる事態に陥る。それでも3か月の空白期間を経た2020年2月にグループが再び活動を開始したとき、WIZONEはCDの初動販売数記録の更新という偉業でもって、熱狂的にその帰還を歓迎した。

喝采の中、止まっていた時計の針は再び動き出した。しかし全てが元に戻ったわけではなく、失われたものも確かにあった。もしこの一件でグループの世間的なイメージが棄損されることがなければ、各所属事務所は活動延長に対してずっと前向きになっていたはずだった。

加えて世界的なコロナウィルス流行の影響もあった。多くのWIZONEが待ち望むコンサートを封じられ、復帰以降の更に限られた期間を通して結局最後までIZONEの12名が直接大歓声に包まれることは無かった。

しかしその一方で、こうした経験が余計にIZONEを唯一無二のアイドルグループに近づけたという感想を持つWIZONEはきっと私一人ではなかったと思う。

解散危機、そしてアイドルとファンが互いに思い合うことしか出来ない境遇。こうした現実の試練を耐え抜いた時、IZONEはアイドル世界が予定していた虚構を超えた。

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ラスコンへと至る混乱も、まだ記憶に新しい。

最後のアルバム、最後のコンサートであればファンは特別な思いでそれに向き合う用意がいる。けれどアルバムに関しては一切そうしたアナウンスをせず、コンサートに至ってはその開催数日前に突然、不意打ちのようにグループの活動終了という一大事を宣言してWIZONEを混乱に陥れた。

あの顛末の原因には、多くの事務所の利害関係が交錯するというIZONE特有の難しさがあったのだろうと想像はできる。そうした困難さを考慮すると、日韓にまたがるIZONEという遠大な構想が完走できたこと自体は評価されるべきだし、そのための関係者の尽力も並々ならぬものだったろうと思う。

しかし活動休止の時もそうだったけれど、事態が混乱した時に中々前面に立とうとしない責任者たるCJENMの態度は、逆にいつも矢面に立たされがちなIZONEの12人を守るのは一体誰なのかという疑問をファンの間に生じさせ、そのことがWIZONEの怒りを呼ぶと共に当事者意識を高める結果に繋がったと考えている。

今なお完全には止まないWIZONEの抗議を引き起こした多くの原因は上記の不手際だけでなく、これまでに重なったそのようなCJENMに対する不信感に負うところが大きいと、個人的には思う。

ただ、そうした憤りには共感しつつも私は今「Panorama」でのIZONEを思い浮かべる。結局は最後のアルバムとなった「One-reeler」を代表するこの曲は、確かにWIZONEへ向けた別れの歌だった。当時だって頭では分かってはいたはずだけれど、認めるわけにはいかなかった。

経緯に悔いの残るラスコンとは違い、「Panorama」での12名の姿はIZONEの節目を飾るに相応しい、優美で堂々たる見事な去り際だったと、今ならはっきり言える。 

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IZONEが残すもの 

カワイイ、クール、セクシー、ミステリアス。人によっては少女時代にたとえたほど、IZONEは何でも出来たグループだった。でもその中心となるのは、やはり女神コンセプトとも称される優雅さと力強さを併せ持った気品ある姿だった。

「ラヴィアンローズ」で始まり「FIESTA」で終わる花三部作と呼ばれる一連の作品は、そんなIZONEだけの在り方を決定づけた。誇り高くあることへの意思を舞台の上で表現することを自身の美学と定め、全5作品を通じて伝え続けた。現在のKPopシーンでは様々なコンセプトやメッセージを掲げたグループが乱立しているけれど、私が敢えてIZONEに惹かれた大きな理由の一つに、彼女たちが舞台で示したその気高い姿勢があったことは間違いない。

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12名は華麗に人々を鼓舞し続け、現実的にもガールグループとして最高の成績、最大のファンダムを作り上げるという大きな影響を残した。そのIZONEが去ることで生じるあまりに大きな空白は、今後誰かが埋めることになるのだろうか。

模倣を繰り返すことでシーン全体が活性化してゆく生命力こそKPopの力の源であるとすれば、いずれ誰かがそのコンセプトを引き継ぐこともあるかもしれない。音楽も衣装も振り付けも、結局は人の手によるものなのだから、不可能ということはない。

しかしIZONEはコンセプトや音楽だけで成立していたわけではない。2018年8月31日、あの場所に集まることが出来た12人の巡り合わせに運命を信じるなら、誰かがIZONEの跡を追うにはまた別の美しい運命が必要ということになる。そんなことがままあるとは思えない。

 

IZONEの12名

かと言っていつまでもここに座っているわけにはいかない。しかしIZONEの姿は今なお鮮烈な印象を残したまま。だから今度は自分にとっての、あの12名の記憶を辿る。

 

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ウォニョン

デビュー当時まだ中学生の最年少メンバーながらIZONEのセンターという重責を果たしてきたウォニョンさん。アイドルとしての、グループの「マンネ」としての振る舞いはほとんど完璧だったけれど、完璧過ぎるゆえの硬さを感じることが時々あった。

その印象がほどけ始め、オンニ達との関わり合いの中でふとした隙を見せていると思うようになったのはようやく最近のこと。これは私がそう思ったというだけで、勘違いの可能性もある。ただ私は、その華やかな外見から当然のように高い期待を寄せられる彼女の感じてきた重圧を、そのとき初めて想像した。

 

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ユジン

IZONEの主人公をひとり選べと言われたら、彼女を選ぶ。芸能人として優れているところも、あるいは普通に幼さを感じさせる部分も、その全てを含めて魅力に換える力がある。凛々しく、可愛らしく、度胸があり、賢明さと繊細な心を持つ。ユジンの歩くところに花道が出来上がる。IZONEの太陽だった。

 

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ユリ

言葉と動作に独特のそっけなさと可愛らしさが同居してる、とても不思議な魅力を持った人だった。ステージによって目元の印象が大きく変わることが多く、今日は二重がばっちり決まってるな、とか思うのが好きだった。細かい話だけどラヴィアンローズの舞台、「イッジマ、ヨギソインヌンROSE」のローのところで口をOの形のままにして決める魅惑的な表情が好きだったんだけど、あまりカメラに気づかれないことも多く、そこは残念だった。ただそんなことより何より、あの力強くも寂しげな歌声が大好きだった。

 

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トミ

とにかくまじめな人という印象だった。だからこそ彼女は韓国に来るべきだったし、あの12名に選ばれるべくして選ばれたメンバーだったと感じる。「ヘバラギ」のステージで彼女が掲げた右腕は、ついに相応しい場所へ辿り着いたことを示す合図だったように見えた。

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そして本田さんと言えば空港ファッション。自分の好きな姿を見せることで人を幸せにしている充実感がこちらにも伝わって来た。空港の一角をランウェイに変える彼女からは、時に自分の望まない姿を披露することもあるアイドルという世界で、その理屈から解放されている人間の幸福を感じた。

 

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ナコ

悲痛な空気に包まれたラスコン終盤、彼女が涙ながらに口にした「みんなこれからも連絡ちょうだいね」という卒業式の時のお別れみたいな素朴すぎるコメントに救われた人は多かったと思う。あの瞬間に矢吹さんだけが持つ天性の魅力が凝縮されていた。

そして今なら、そんな彼女がPRODUCE48という鉄板を火炎で熱したような全編修羅場のプログラムに参加してしまったことの凄さが分かる。

「ライオンの群れの中で平然としているウサギが一番やばい」みたいな言葉がある。アフリカのことわざではなくて、漫画クロマティ高校のセリフだった気がする。自分にとって韓国での矢吹さんはそんなイメージ。KPopアイドル界という容赦ない野生の中でも、彼女の可愛らしさは強さと同義だった。

 

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ミンジュ

外見的魅力と人間的魅力は両立しない、などと言ったら逆ルッキズムということになるのだろうか。ただ私はせめてそう思いこむことで世の不公平に抵抗してきたつもりだった。

だからプデュ48でミンジュさんを初めて見た時も、美人でスタイルも良い彼女は気弱で自信なさげな振りをしている策士だと思っていた。この子はいつかボロを出すよ、と自分の中の影の部分がささやいていた。でも今に至るまでそんな機会は一度も来ることはなく、悪い評判もまるで聞かず、気づけば自分も彼女を好きなWIZONEの一人になってた。君の勝ちだ、キムミンジュ。

一度も会ったことがないにもかかわらず相手の幸せを強く願ってしまう、それが良いアイドルの条件の一つなのだとすれば、彼女はとびきり素晴らしいアイドルだった。私は彼女にどんな道を進んだとしても幸福であってほしいと願っている。そしていつかの宮脇さんの言葉通り、その優しさと真面目さゆえに変な人には引っかからないでほしい。 

 

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チェウォン

何度となく言っている気がするけど、彼女のアイドルとしての振る舞いはかなり均整のとれたもので、あらゆる面で隙のなさしか感じない人物だった。それだけにラスコンでの無防備な涙には驚かされた。アイドルとは自信と覚悟を持って敢えて他人の担ぐ御輿に上ることのできる人達だと、IZONE波乱の二年半を振り返りながら感じている。あの場面にはまさに、その過酷さが込められていた。

でも今は、私たちが大事に思っているものを彼女もまた大事に思ってくれているということを、あの涙は告げていたのだと理解している。

そしてチェウォンさんと言えばあの済んだ歌声。自分もそれなりに色々な人の歌声というものを聞いてきたつもりだったけれど、この人があの歌を歌ったらどんな感じになるだろう、と想像してみたくなる声の持ち主というのは、韓国人のアイドルであるキムチェウォンさんが初めてだった。

あと、いつかのさくのきで披露した「溶けちゃいました~」は音声遺産として保存されるべき。

 

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チェヨン

最初のうちは超ダンスの上手い人くらいのイメージだったけど、二年半の間に、話もメールもVライブも長い人で、あとすごく穏やかで優しい人、という印象が加わった。グループにおける母親のような姿でとらえられることが多く、プラベートメールなどを読んでいると、自分も見守られているような気持ちになれた。

ラスコンの舞台では泣かないように脚をつねっていたという話をプメで明かしてくれたことがあった。いつになく短い文面だったけれど、相手を労わるように別れを惜しむ文面にはいつもの優しさが溢れていた。

傾いた気持ちも隠さずに文章で表してくれる真摯な姿を見ていると、彼女と宮脇さんが隣り合うことの多かったのも分かる気がする。いろいろな舞台の中央で、これからもKPopの真価を証明し続けてほしい。

 

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イェナ

いつでも明るく楽しく元気に小首をかしげる。これまで生きてきた道が愛に溢れているのだろうと確信させるイェナは素晴らしい家族、友人、仲間に囲まれて、IZONEのハッピーウィルスの名前の通り、きっとこの先も口を尖らしポニテを揺らしながら周囲の人達を幸福な空気の中に巻き込んでゆくはず。

 

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クァンベ

歌やダンスの実力なら客観的に評価できる。スキルのある人を集めただけならそれはボーカルグループでありダンスチームになる。彼女を12名に加えるために動いた人達は慧眼だったと思う。アイドルグループをさらに特別なものにするためには彼女のような存在が必要だった。

オンラインコンサートでのカタレナの舞台。ウォニョン&チェウォンという強力な二人と並びながらも、あのステージは彼女の個性と曲の個性が不思議なくらいかみ合った、IZONE・カンヘウォンのハイライトだったと思っている。

 

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クラ

はたして彼女が激昂したり号泣したりすることがあるのだろうかと、ラスコンでの最後の挨拶の場面を見て思った。自らの感情の発露に際してまで、納得できる理由がないと自分にそれを許さないかのようなストイックさ。あるいは自分の感情よりも、自分に期待される役割を判断してそちらを優先するような振る舞い。

私はそうした姿勢が必ずしも肯定されるべきものだとは思わない。ただ宮脇さんのそんな特徴は、そのまま彼女の歩いてきたアイドル人生をある程度反映したものなのだろうと思う。

彼女は舞台での迫力と美しさでアイドルとしての強みを語られることが多い。でも実際にはそうした複雑な内面と、その複雑さを誤魔化すことなく人に伝えようとする真摯な姿勢に惹かれている人も多いのではと思う。少なくとも私はその一人だった。

 

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ウンビ

IZONEであることの意味と、その重要性。おそらくそれを最も肌感覚で理解していたのはリーダーである彼女だったはず。

かつてデビューに失敗し、練習生へと逆戻りしてダンサーとして活動、そして過ぎてゆく時間。おそらくは最後の挑戦として臨んだオーディションを経てたどり着いたIZONEの高みを現実的な距離感として感じとれる彼女は、そのため余計に栄光の重圧に耐え切れず、時に歓喜の涙で言葉を詰まらせてコメントを逃してしまうという感情溢れる姿を見せていたのではないか、と想像している。

その人間味と責任感で、どこにあっても誇り高く生きていく人。
 

 

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最後に

活動自粛にコロナにと、わりと大変なアクシデントに連続して見舞われたにもかかわらず、ひたすら輝いて走り抜けたこの二年半は本当に素晴らしかった。

KPop、というかアイドルそのものに本格的にはまり始めたのが2017年頃からだった自分は、本当にいいタイミングでIZONEに間に合ったと思っている。それにIZONEのことを考えていればいくらでも言葉が浮かんできたので、着想に困りながらブログを書いている人間としてはとても助かる存在だった。CDを聞いて動画を見てコンサートへ行って。直接メンバーに会ったことはないけれど遠くから応援していただけの多くのWIZONEの中のひとりとして、思いをこうしてブログという形に残せることが幸運だとも感じてる。

 

思っていたより長くなった。さすがにそろそろ席を立つ時間だ。

これがIZONEについて書く最後の文章だとは思わない。だけど区切りはつけないといけない。だから今、心からのお礼を捧げながら記事を終えることにしたい。

楽しいことだけではなかったはずのこの2年半、それでも私達の前に立ち続けてくれたこと、心より感謝しています。そしてその間ずっと、アイドルに彩られる生活の素晴らしさということを感じさせてくれて、本当にありがとうございました。