猫から見たK-POP

ガールグループ中心に思ったこと書いてます。

ヨジャチングの面影へ

OH MY GIRL「CLOSER」が自分とKPopの出会いだったと、ブログの第一回に書いた。しかし改めて当時を思い返すと、ほとんど時を同じくしてGFRIEND「ROUGH」にも強く惹かれていた覚えがある。厳密な経緯はともかく、彼女達が自分とKPopの始まりを彩った二組だったということだけは断言できる。そしておまごる同様に、GFRIEND(以下ヨチン)の第一印象も鮮烈だった。とつぜん自分の目の前に現れた制服姿の6人組。

そもそも制服とアイドルの組み合わせと言えば、清純さや従順さの代名詞とされて久しく、好んで選ばれるありふれたコンセプトのはずだった。でもヨチンのそれは違った。清新ではあっても誰かにすがるような、上目遣いで相手に媚びるようなところのない、若い自分こそが物語の主役なんだという姿勢を切実に表現して躍動する6人の姿はとにかく眩しかった。

アイドルにはこういう表現もできるという強烈なインパクトを残したという意味でもおまごると似ていた。「CLOSER」と同様、自分にとってのKPopはキャッチーなフックソングやいち早く流行を取り入れたダンスミュージック、あるいはヒップホップに代表されるアメリカ音楽の影響濃い存在としてではなく、独特の抒情性を持ったアイドルソングとして始まった。

www.youtube.com

 

その「ROUGH」を含む、2015年のデビュー直後からの連作による躍進は本当に目覚ましかった。新人アイドルグループとしての素晴らしいプロデュースと、デビューしたばかりの6人の現実の姿が綺麗に調和して、あの時あの瞬間にしか見せられない表現というものを見事に舞台化していた。ヨチンがTWICEと共に第3世代として並び称されるのはデビュー年が同じというだけでなく、あの一連の作品がTWICEの「ウワハゲ」から「TT」へ至る大活躍に匹敵するほどの目覚ましいインパクトを世間に与えたことが大きかったと思う。

校舎の中でのひたむきな姿から始まった6人はやがて雨の日を想い、星空に願いを込め、太陽へ手を伸ばしながら自然な変化を遂げていった。ヨチンだけが紡ぐことのできる物語、描ける世界というのが存在していて、世界を舞台に派手な動きを見せ始めたKPopシーンのなかにあって、軽々しく世の流行に乗らないヨチンの佇まいに惹かれる自分までが誇らしく思えた。

刻々と過ぎて行く時間に合わせて、アイドルグループとしての成長やキャリアの進展を舞台に取り込む事は難しい挑戦になる。いつまでもデビュー当時のような雰囲気で留まっているわけには行かないが、しかしそれまでファンが望んでいた姿への期待にも応える必要がある。でもヨチンはキャリアの5年目、「Crossroads」で確かな変化を見せることに成功した。未来への不安と希望を歌うことで、6人が分岐点に立って新たな物語を始めようとしていると信じさせるのに十分な作品だった。

ところが、それまで不穏な噂も一切なく、ファンからも愛され、誰よりも安泰に思われていたはずのヨチンのキャリアは、2021年の5月に突然の契約終了という形で幕を下ろす。7年が基準とされるKPopグループの契約を参考にするなら最低でもあと1年は続くものと思われていた状況での、驚くべき唐突さだった。

www.youtube.com

 

2019年後半、あのBTS擁する巨大企業HYBEの傘下へヨチンの所属事務所であるソスミュージックが加わったという大きな環境の変化は結局、彼女達にとって何を意味したんだろう。

結果的にヨチンのラストを飾ることになった「回シリーズ」は3部作と示されてはいるものの、その1作目のタイトル曲「Crossroads」と2,3作目のタイトル曲「APPLE」「MAGO」の間には、変化や成長という言葉は相応しくない、飛躍ともいうべき差があったように思う。これにはおそらく「APPLE」以降で急激に数を増やした作曲家陣の参加が表すように、ソスミュージックがHYBE傘下に入って以降そのプロデュース方針に大きな変化の起こったことに原因があった。

当時はそうした一連の舞台を多少の驚きと共に眺めていただけだったけど、突然の解散からやや時が過ぎた今では、あのとき感じた違和感に気付かない振りをする必要もなくなった。あの二作は共に舞台でのパフォーマンスは素晴らしいもので、曲のクオリティも高く、一見してお金の掛かっていることが分かる完成度だった。それでも、本当にあれはヨチンがやらなくてはいけないことだったのか。

特に「MAGO」で、リリース当時にKPopシーンで流行していたレトロなディスコサウンドをヨチンの最後のタイトル曲としたこと。そのキャリアの大部分を通して独自の美学を示して来た彼女達へ、そのタイミングで偶然に流行っていたコンセプトを当てはめるという態度は、ヨチンというアイデンティティと両立するものには思えなかった。アイドルとファンの間で丁寧に紡がれてきた物語、その語り手が終わりの間際に代わってしまった気がした。

6年に渡る活動の余韻を感じる暇もなく、突然の終わりを告げられヨチンは去った。今となってはその終幕が金と力で強引に飾り立てられた花道のようにも見えて、そうした態度からあえて距離をとって来たのがヨチンではなかったかと思わずにはいられない。

f:id:skykuroneko:20210916170625j:plain

 

GFRIEND、というかヨジャチング。TWICEやOH MY GIRLと共に躍進した第3世代の旗手。同世代の多くが今も順調に活動する中にあって、ひとり意外な早さで姿を消した彼女達の姿は世代交代の兆しというだけでなく、KPopシーンにおける企業間勢力図の変動の影響を受けたものと意味付けられるのかもしれない。

ファンの一人としての自分はといえば、BUDDYを名乗るほど没頭していたわけではなかった。それでも「ヨチンがいる」という事実はKPopを追う上でいつも安心感、保証のようなものを与えてくれていた。戻るべき場所のようでもあった。そんな彼女達についての最後の記事が、素直にこれまでの素晴らしい作品群を振り返るようなものにならなかったことが残念ではある。それでもヨチンの名曲の数々は「KPopのレパートリー」としてこれからも愛され、後輩達によって歌い継がれてゆき、これからもその面影が消え去ることはない。

そういえば結局、自分がヨチンを直接見ることが出来たのは大阪での一回だけだった。あれは真夏の日中のことで、開場の時間まで屋外で並ばされてとても暑かった。あの時もらった光るブレスレットは今も机にしまってある。セットリストは忘れたけれど、満員の観客が見上げる舞台上に立った6人は、不思議なくらい白く眩しく輝いていた。