猫から見たK-POP

ガールグループ中心に思ったこと書いてます。

歌われてはならない鎮魂歌。IZONE「Vampire」

先日のさいたまスーパーアリーナにおいて初めてのコンサートツアー最終日を大盛況の中で迎えたIZONE。

ちょうどサードシングル「Vampire」の発売日と重なったいうことで、日本コンサートでのセットリストに初めて変更が加えられてこの曲が披露されていました。

現場での反応としては普通な感じでしたが、日本シングルが発表されるたびに賛否両論が起こるというWIZONE界隈のいつもの光景は、9月13日にこの「Vampire」が公開されてからも繰り返されています。

そこではMVの出来が高く評価される一方、純粋に楽曲のクオリティに難があるという厳しい意見がはっきりと目立っていたように見えました。

しかし、そもそも人の好みなんてそれぞれだからどんな曲にでも異論あるのは当然で、おまけにIZONEに対してどんなアイドル・アーティストとしての姿やレベルを求めるのかによっても、日本活動曲に対する反応は変わってくるんだと思います。

例えば今の感じで韓国と日本でわりと人気のある可愛いアイドル、ぐらいで良いと思う人もいれば、あるいは本気でTWICEなどと競えるまでに成長し、後々わずか二年半で解散した伝説のグループとして回顧されたいと願うファンもいる。

そして私自身は当然後者です。韓国での二枚のミニアルバムの出来を見ればそうした将来は決して大げさではないと思うようになりました。

でもアイズワンには時間という大きな限界があって、そこへ投じることの出来る労力や資源も制限がある。だからこそ、これまでの3回の日本シングルはそんな彼女達にとっての足踏み・足枷、才能の浪費に感じてしまう。

ただそうしたこととはまた別に、日本シングルが発表される度に起こる一連の反応について気になるところがあることに気付きました。

 

 

アイドルという聖域

日本シングルに対する批判が起きるたびに、その一方では「あの12人は一生懸命やってるんだから」とか「せっかく日本で活動してくれているのに」、「彼女達が傷付いてもいいんですか」といった反応が起こります。

こうした態度にはおそらく批判の中身は問題にしない、自分が応援するアイドルに対するいかなる否定的意見も嫌うファンの心理があるんだと思います。

私を含めIZONEの日本曲を批判している人達の多くは当然あの12人の努力とパフォーマンスではなく、その曲を作り詞を書いた人々、つまり製作者を作品を通して批判しているはず。

しかし例えそうであっても、日本ではファンがアイドルのいる方向に向かって意見すること自体が好まれず、そんなことはアイドル本人を傷つける中傷と同義のように見なされているようです。

そんな全肯定を前提とするかのような関係が、やがてアイドルとファンだけの聖域を形成し、日本のアイドル業界はその構図を前提としたビジネススタイルを作ってきた面があるように見えます。

そこでは「応援」の名の下にアイドルのみならず製作者への批判までが無効化されてしまうので、それが彼らのプロとしての姿勢に緩みと甘えをもたらし、楽曲のクオリティにまで悪影響を与えてしまうのは当然の成り行きではないでしょうか。

握手券付きのCDという「発明」が音楽チャートの本来の機能を無力化したという批判や、日本のアイドルカテゴリーとして「楽曲派」という言葉が敢えて生まれなくてはならない現実までも併せて考えてみると、この何が何でも応援するという態度で批判を遠ざけた結果が、正しく音楽文化の一ジャンルであるはずの日本のアイドルシーンを蝕んだように感じられます。

そしてこのようにアイドルという存在を一般社会から隔離された特殊領域に押し込めることが、やがては世間からファン共々見下されるような風潮を呼び込んだのではと思っています。 

 

誤算

私自身が長い間、そのようなアイドル界隈を近寄りがたい世界として認識しつつ、遠くのほうから無関心な眼差しを送っている世間のひとりでした。

そんな自分の横っ面をひっぱたき、アイドルだって音楽とパフォーマンスで世間一般に対して訴えていける存在なんだと気付かせたのがKPopにおけるアイドルでした。その衝撃は素人の自分にブログまで始めさせた。

そして目前に次々と現れる豪華絢爛なKPopアイドルグループに目を奪われる日常が始まって2年、その輝かしいアイドルの系譜の最先端に現れたのが他でもないIZONEでした。

2018年の秋、ラヴィアンローズと共に舞台へ颯爽と現れた彼女たちを見た瞬間、KPopアイドルシーンという宝石箱に優雅で新しいバラ色の輝きが加わったと確信しました。

しかもそこに日本の現役アイドルが3名も参加しているというのが大きかった。

自分が最も距離感を感じていたアイドルカテゴリーからの参加という事で、それは鮮やかな驚きでした。あくまで日本の特殊な構造が問題なのであって、アイドル個人の資質には日韓で大きく変わりはないのではと、そこに希望を感じました。

ところが、何とそのIZONEが日本側プロデュースの下で活動を始めた途端、自分の関心からは程遠かった、例のアイドルの姿に変化してしまった。

旧態依然とした音に振り付け、退屈なフォーメーションに陳腐な歌詞。擦り切れて色褪せたスタンプのようなアイドルプロデュースは、明らかにファンの絶対的な支持を前提とした「聖域」向けの作りであり、広く聴衆の批判を意識する緊張感をまるで感じさせない完成度だった。

上記のような経緯でKPopアイドルを好きになった自分にとっては、これはかなり皮肉な展開に感じられました。とても回りくどい形で馬鹿にされたとも思った。

 

IZONEを貶めるのは誰

例えば、韓国にもアイドルを下に見るという風潮は今も昔も根強く存在しているようです。でもあちらではそうした視線を自分達だけの世界を築くことで無視するのではなく、音楽やパフォーマンスのクオリティを高めることで跳ね返してきたように見えます。

ファンは曲に不満があれば作曲家を批判するし、タイトル曲の選定に疑問があればそう言葉にする。

厳しいとは思います。でもこうしたファンと製作サイドの緊張関係が昨今のKPopの隆盛を生み出し、BTSに代表されるようにアイドルが一般社会における敬意を勝ち取るまでになったのだと思います。

IZONEもまたそのような大衆や評論家の厳しい視線にさらされる環境で活躍しているグループだからこそ、日本シングルに感じるそもそも批判を受ける事すら想定していないかのような、甘えた、内輪向けのプロデュースには落胆を感じないわけにはいかなかった。 

そんな時、ちょうど日本セカンドシングル「ブエノスアイレス」が発表された頃、タイミングを合わせたかのようにAAAのラッパーであるSKY-HIさんによる興味深いインタビューがネットで公開されていました。

www.barks.jp

音楽ストリーミングが今の音楽文化に及ぼす影響について語られる一連の流れの中で、不意に話題が日本のアイドル文化に及ぶ箇所があり、そこでの以下の発言がとても興味を惹きました。

「ここ最近のアイドル文化の持つ、身近に感じて理想の友達や恋人みたいに倒錯させるって感覚はCDに固執させることでビジネスも殺したし、クオリティよりもその人を応援することを尊いとすることで文化も殺した」

この言葉を肯定するなら、その「文化として死んでいる」はずの日本の大手アイドルシーンで流れている音楽は、まさしく葬送曲だということになります。そしてIZONEの日本サードシングル「Vampire」の色褪せた響きは、その意味で日本アイドルシーンのレクイエムと呼ぶに相応しい。

2018年からの二年半、この今という瞬間に世界を全力で駆け抜けようとするKPopアイドルグル-プ・IZONEにそんな歌を歌わせることがどれだけおかしなことか。

あの12人は相応しい風を受ければどこまでも高く、遠くへ飛べるということを韓国での二枚のミニアルバムでの変幻自在・絢爛豪華な姿で証明してきました。

なのにまるで風切羽を切られた鳥を愛玩するような態度で彼女達をプロデュースする日本側の態度は、韓国サイドとの方向性の違いや日本の独自性という説明だけでは理解できない、なにかIZONEに対する根本的な無理解と、その影響力にしか目を向けない無関心を感じる。

端的に言って「ラヴィアンローズ」と「Vampire」を同じひとつのグループが歌い分ける事は、そのアイデンティティを傷つける事無しにはあり得ない、それくらい完成度とコンセプト、そして歌が伝えるメッセージという点で隔たりを感じます。

アイドル業界における長いキャリアで知られる日本の製作陣にとって、結局はIZONEも過去から扱ってきた何百人目かのアイドル、何十組目かのグループのひとつにすぎないのかもしれない。

でも、あの12人とWIZONEにとってIZONEはあと1年半で消えてしまう唯一の、似るべき相手のいない存在です。そんな彼女達に別のアイドルグループの焼き直しのような曲を繰り返し踊らせる事はグループとファン双方への侮辱と取られても仕方がない。

IZONEに必要なのはIZONEのためだけに用意された色です。それはラヴィアンローズでありヴィオレッタであり、ハイライトなどで表現されているものです。決して既存のグループを思わせるコンセプトを当てはめることや、まさか特定の作詞家やプロデューサーの惰性を優先させるような作品ではありません。

 

日本シングルが出るたびにブログで律儀に批判し続ける事、今回でもう3回目。

結局のところ私が似たようなことを何度も書き続けているのは、不足する曲のクオリティのみならず、その向こうに透けて見える作り手としてのおざなりな態度がIZONEとWIZONEに対する敬意を欠いていると感じることへの反発かもしれません。

その一方では、メンバーが日本シングルのためにどれほどの準備を重ねてきたかも簡単に想像できるし、ファンの応援をどれほど頼みにしているのかも分かります。

でもアイドルが相手だからといって批判を遠慮する事は結局プロとしてのIZONEと、そこへ関わる人達双方の知恵と勇気を信じない事につながるのではないでしょうか。

繰り返しになりますが、そうした態度はアイドルをただ可愛いだけの存在、取るに足らない愛玩の対象としてしまう恐れがあり、それはIZONEにとって最も相応しくない姿のはず。

そうならないためにもWIZONEのひとりとして自分の感覚に嘘をつかず、ファンであっても批判はするという姿勢を持っていたいし、同時にこれからも心からの称賛も送っていきたいと思っています。