猫から見たK-POP

ガールグループ中心に思ったこと書いてます。

KPopの「日本語版」という難しさ

先日、ついにうちの近所のスーパーにまでTWICEデザインのドリンクが並んでいるのを発見し、とうとうこんな所にまで浸透してきたかと感慨深い気持ちになりました。

いつものレジの背後に、たぶん購入者プレゼントのはずのクリアファイルが積まれている。私にとっての日常風景代表であるレジのおばさんとTWICEメンバーの笑顔が同じ視界におさまるというそのアンバランスな光景は、KPopアイドルの日本における成功のひとつの類型をとても雄弁に物語っていたように思います。

そしてなにより世間的には大阪・東京そして名古屋と続いたドームツアーの大成功も記憶に新しいところです。

日本におけるBTSやTWICEの大成功はKPopシーンが新しい段階に入った事を象徴しているようにも感じられ、そこから刺激を受けたように次々とKpopアイドルが日本デビューを決めるなどしています。

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しかしこうしてKPopというものが日本において存在感を増していくと同時に、どうしても見過ごせない違和感が大きくなっていく感覚もあります。

その理由こそ表題にも挙げた「日本語版」の存在です。

多くのKPopアイドルは日本デビューと同時に、それまでの代表曲の日本語版を発表し、ライブ・コンサートにおいては原曲ではなく主に日本語に翻訳された曲が歌われる。

こうしたことは少女時代やBIGBANG以前から出来上がっている慣行となっていて、今回のTWICEドームツアーのセトリを見てもその伝統はしっかり受け継がれているようです。

私はこの状況が、正直に言ってあまり嬉しくない。

少し説明を加えると、私は「日本語版」を発売するというビジネススタイルそのものに反対しているというより、ライブ・コンサートにおいて原曲を日本語で歌う事、さらには日本のKPopシーンにおける原曲の扱いそのものについて違和感を感じています。

言葉というものはまず「音」であるといいます。言葉はそこに込められた意味よりも、まず耳を通した感覚として伝わる「音」として存在している。

つまり楽曲を構成する様々な楽器の音色と、歌詞を歌い上げる人の声は純粋に音として対等であって、互いにそれぞれ曲の最終的な完成度に対して等しい責任を負っている。

そう考えると、歌詞における韓国語特有の発声を考慮して作られた曲を日本語に翻訳してしまうということは、重要な音に手を加えることで一旦完成した作品に大きな改変を加えてしまうことを意味する。

原曲が日本語詞になった途端ぎこちなくなるのは、外国人としての発音の問題だけではなく、上記の理由からそうならざるを得ないのだと思います。

現状日本のファンは日本デビューしてしまったアーティストのライブにおいて多くの場合オリジナル曲を聴く事が出来ず、いわば日本語版というリメイクされた方の曲を聞かざるを得ない。

しかしSNS全盛の現在、日本のKPopファンがアイドルの本国カムバと同時に原曲を聞きまくり、それに慣れ親しむのはもはや当たり前の光景です。 自分が好きになった曲をライブでも同じ様に聴きたいというのはファンとしての素朴な感情ではないでしょうか。

 

というようなことを前々から感じていたんですが、今になって記事を書こうと思ったのには先述のTWICEドームツアーのセトリを見たこともありますが、もうひとつ大きかったのが赤頬思春期の日本デビューの知らせを聞いたからでもあります。

先日新アルバムを出したばかりの赤頬の二人ですが、なんと本国で大ヒットした「宇宙をあげる」の日本語版でもって日本デビューを果たすというニュースが先日発表されました。

赤頬思春期、日本デビューアルバムの詳細&新ビジュアルを発表 - MUSIC - 韓流・韓国芸能ニュースはKstyle

この知らせには意表を突かれたというか、率直に言って間違った判断なのではないかとも感じました。

瑞々しい感性を爽やかでポップなメロディに乗せて歌う事で韓国国内において大きな支持を集めることに成功した赤頬思春期。先頃発表した「私だけ、春」も人気を博していて、ちなみにこのMVのロケ地は沖縄だそうです。

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音盤ではなく音源に強いということで有名なように、「楽曲そのもの」の魅力で特定のファンだけでなく幅広い層からの人気を集めてきた彼女達は、アイドルを含め様々なアーティストの存在するKPopシーンの中にあって、自分達の歌における韓国語の響きの大切さについて特に自覚している存在だろうと勝手に思ってたので、今回の知らせには多少の落胆を感じました。

この感覚、まさか日本語版デビューなんてしないだろうと思ってたという意味で、例えば日本でも知名度のある韓国のバンド・HYUKOHが日本語版でデビューします!なんてことになったときの驚きを想像するのに近いと言えば伝わるでしょうか。

宇宙をあげるの日本語版、もちろん聞いては見たいけれど同じ曲としては聴けない気もするし、でもデビューするからには受け入れられて欲しいし、でも一番良いのは原曲がそのまま日本でも人気が出ることだと思ってるし、何と言うか本当に頭がいたい。

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もうこうなってくると「日本デビュー」という、本来嬉しいはずの言葉が呪わしいものに聞こえてくる。そういえば今年1月のおまごる日本デビューライブもほぼ全曲日本語詞でした。

いっそ日本デビューしないでライブ含めた「日本活動」だけを頻繁に行ってくれるLovelyzのようなグループのあり方こそ、自分みたいなファンには理想なんじゃないかなどと考えていたところに届く「Lovelyz日本公式ファンクラブ設立のお知らせ」。

なんかもう、先日批判めいたことを書いたアイズワンの日本活動こそが、ラヴィアンローズの日本語版なんて出しそうに無いという意味では望ましいものに思えてきました。

 

ファンとしてはいつだって好きなアイドルの最高の姿、最高のステージが見たいもの。

でも現状、妥協の無い完成度の高さを代名詞にするKPopにとって、自由にならない外国語である日本語歌詞をライブステージで披露する事は、そのようなKPopのアイデンテンティティを自ら否定することになっているのではないでしょうか。そんな姿をファンの前で披露する事が果たしてアーティストとしての誠意と言えるのかどうか。

私達にでも分かる日本語で歌いかけてくれる気遣いは素直に嬉しいもの。しかもなんか日本だけ特別扱いしてくれてるようなくすぐったさもある。それに対して正面からやめて欲しいとは言いにくいファン心理というのは確かにあります。

しかし同時に、ファンの1人として私が見たいのは好きなアイドルが最高に輝いている姿であって、それは彼女や彼達が伸び伸びと自分自身の言葉である韓国語で歌っている瞬間に見えるものだと思ってます。

2017年夏に武道館で行われたBLACKPINKの日本デビューショーケース。大盛況となったあの場でも披露されたのはほとんどが日本語バージョンでしたが、アンコール曲として最後に韓国語でのBOOMBAYAHが流れたときに、それまでも十分熱狂していた観衆があの瞬間さらに盛り上がりを見せたように見えました。

ライブが終わり、駅へ向かってゆっくり進む人混みの間には興奮の余韻が強く漂っていましたが、そんな中で私は日本語版の出来について拭えない違和感をぼんやりと感じていました。

その時どこからかともなく、「やっぱり韓国語やばいよね」という感想が洩れ聞こえて来て、誰のものか分からないその言葉に、心の中で強く頷いたことを覚えています。

第一次韓流ブームからもう20年近く。舞台上のアイドルが話す韓国語のMCに対し、通訳が終わるのを待つことなく普通に反応する客席という光景を目にすることはもう珍しいものではありません。BTSが韓国語で歌うステージで世界中を熱狂させていることだって周知の事実です。

日本のKPopファンにだって、もうKPopを韓国語のポップ音楽そのものとして受け入れる準備はとっくに出来ていると思うんですが。