前にKPopの好きなところについて書き終わってから、まだ書く事あるな、という事に気付いたので引き続いて記事にしてみたいと思います。
とりあえず私の好きなチョユリさんのシーンから。
チョユリさん、不幸映えするアイドルだなと思います。マッチ売りの少女が最後の一本に火をともした時にはきっとこんな表情だったに違いないと思わせる、そんな顔です。
でもまさか梅干おにぎり食べただけでこんなになるとは。
目次
①家族みたいなグループ
自分の好きなアイドルグループのメンバー同士が仲良くあってほしいとはファンなら誰しも思うことでしょうが、KPop世界ではメンバーの絆を担保するいくつか大事な要素があると思います。
まずは一つ目はグループとメンバーの同一性。つまり途中加入や脱退があまりないということ。
アイドルの世界観を構成する上では曲を始めとした色々なコンセプトやイメージよりも何よりも、誰がそこに揃っているのかという「人間」が大事であることは言うまでもありません。その意味でメンバーの不変性はとても重要です。
例えばfromis_9を名乗れるのは、これまでもこれからも世界の中でこの9人だけ、というのはとてもシンプルな話ですが、これ以上大事な要素もないと思います。
これは一見すると当たり前の理屈のようですが、日本のアイドル(女子)になるとモー娘。系もAKB系も当たり前のように脱退と加入を繰り返すというところが、なんでこんなことになってるのかよく分からないところ。
グループ名を事務所にとってのひとつのブランドとして育て、維持しようとする考えなのではと想像しますが、アイドル個人がグループに居場所を間借りしてるだけに見えて、こういうのは個人的に少し寂しい気がします。
そして2つ目。これが一番重要かもしれない、KPopファンにはお馴染みの宿舎での共同生活です。
KPop文化を知ってから一番インパクトがあったのがこの宿舎生活だったかもしれない。年頃の他人同士が一つ屋根の下でアイドルグループの名の下に生活を共にするというこのストイックさ。アイドル世界の華やかさとの鮮やかなギャップがとても印象的でした。
KPopグループは年齢に応じて長姉とか末っ子とかいう関係が自動的に成立しますが、ここに実際の集団生活を送っているという背景が加わると、それがただの設定ではない真実味を帯びてきます。いわば擬似的な姉妹・兄弟関係です。
そして逆説的ではありますが、ここへ更に現実感を加えているのが「契約期間」だと思っています。
これはごく個人的な感想なのですが、KPop業界におけるアイドルグループの大体の契約期間の目安といわれる7年という期間が、上記の擬似的家族関係がまるで契約に基づく新しい人間関係のひとつであるかのような説得力をもたらしていると感じます。
世界で唯一のグループであり、それが遠くない将来に終わってしまう存在だということをファンもアイドル本人もあらかじめ分かっていることが、アイドルグループにおける絆の存在を信じさせてくれているのかもしれません。
②美人という役割
Kpopアイドルグループといえば各メンバーがボーカル・ダンサー・ラッパーといった役割を明確に割り当てられているところが特徴的です。
この役割という側面からアイドルを見るとき、ボーカルやダンスと言った実力面からそれぞれのグループを眺める事になり、アイドルはアーティストであるという事実を再確認することにもなります。
それにこうした業界を通した共通の規格みたいなものがあるとメンバーの個性を整理して理解しやすく、複数のグループを比較したときにそれぞれのチームの特徴が個人をとおして際立つことにもなると思います。
そして、こうした役割分担の中で一番特徴的だと思うのがビジュアルというパートの存在だと思います。
売れてるKPopアイドルグループには最低でも2,3人ははっきりと分かる美人が居ます。目の端で数秒捉えただけで「綺麗!」と分かる人がいます。
ショービジネスの世界の話なんだから可愛い子がいるのは当たり前じゃないか、という意見もあるかもしれませんが、おそれながら私はKPopアイドルを見て初めてそのことに気付かされました。
この単純な事実はやはりアイドルの世界でファンを増やしていく上でとても大事だと思います。
多くのKPopグループの曲は3分程度。しかしそもそもファンでない人はその3分ですら悠長に待ってはくれない。でもどんなに素晴らしいステージでもしばらくは視線をとどめてもらわないと、その魅力は伝わらない。
そんなアイドルとファンの最初の最初、ファーストコンタクトを成立させるという重要な役割を担うのがビジュアル担当なんだと思います。これは家でたとえると門の役割で、とりあえずそこで興味を持って中に入ってもらわないと話が始まらない。
取り立てて綺麗なメンバーは居ないけれど、努力と工夫と愛嬌で何とかします、というような意見が通用しないこうしたKpop世界の冷徹な現実は、見る人によっては意見が分かれるところかもしれません。
日本の方がアイドル志望者の夢を叶えやすいし、多様で自由な表現が可能だという利点があることは確かで、この日本式システムがアジアの各地に輸出されて受け入れられていることを考えると両者の差は優劣ではないのだと思います。
ただ私は、美人がいる!というKPopのわかり易さが好きです。単純なので。
③もの申すファンたち
自分がただの消費者ではなく「ファン」だということを示す行動はいくつもあると思います。ライブやファンミに積極的に参加すること、CDやグッズをたくさん買うこと、こうしてブログを書くこともそうかもしれません。
こうしたファンならではの行動のひとつにKPop世界におけるフィードバック文化を挙げることを、もしかすると日本の中にはファンには受け入れにくく思う人もいるのではないでしょうか。
去年は韓国のファンが事務所の活動方針に対し声を上げることで、結果としてKPopアイドルの日本活動が影響を受けるといった出来事がいくつかありました。こうしたことを思い返すとフィードバックなど邪魔だと思う人もいるかもしれない。
しかし私はそれでも、ファンが好きなアイドルのことを考えて事務所に対して物申すという主体性を持つことは大事だし、そして事務所もまたきちんと反応を返すことは素晴らしいと思います。
相手のやる事をただ黙って受け入れたり、見過ごしたりすることが礼儀だとは思いません。特にその相手が自分にとって他人でないなら尚更です。良いと思うなら応援するし、間違っていると思うなら行動を改めるように声を上げたい。
それにビジネスというのは常に複雑な判断を求められるものだと思いますが、熱心な顧客であるファンによるダイレクトな反応というのは意思決定を行う際になによりも貴重な判断材料になるはずです。
フィードバックというのは文句やいちゃもんではなく、自分と相手が関わっている空間をより良くするための反応の応酬であり、前向きで、そしてごく自然な振る舞いだと思います。
これはKPop世界だけに顕著な事ではなく、私個人の趣味の領域から見ただけでも、例えば海外のゲーム分野においてはユーザーと開発サイドの意見交換は当然のように行われていて、作品の方向性に実際の声が生かされる事は自然な光景です。
私にはライブ会場での歓声も、フィードバックを求める声も、両方とも同じくらい重要だと思っています。芸能事務所も始めから正解を知りつつビジネスを進めているわけではないと思うので、ファンが声を上げることは妨害なのではなく、正しい方向を推測させる助けになるものだと思っています。
最後に
KPopについて色々と考えていると、 当然ながらその先に韓国社会そのものの姿が透けて見えてくるところが面白いと思いました。
例えばフィードバック文化などに見える、個人が団結して組織に対して声を上げる姿には、前大統領を退陣に追い込んだ一連の動きを思い出すし、アイドルの合宿生活が社会的に受け入れられているのは、おそらく徴兵制度における成人男子の集団生活が韓国における当然の光景としてあることが前提になっているのだと思います。
そう考えると、日本と韓国で同じ「アイドル」の呼び名の下に異なる姿が形作られているのも当然のことなのかなと思いました。
普段は意識しなくても、きっと日本のアイドルの姿も日本の社会的影響を強く受けているのだろうし、 アイドルがその社会の姿に応じて変化するのだとすると、今アジア各地に画一的に輸出されてるAKBの48システムなども、そのうち地域毎に独自の発展を見せることになるのかな、などと想像してます。
長々書いてきましたがまだ何かあるような気もするので、そのうち続きを書けたら良いなと思います。